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岡山金属原料部は、岡山金属の経営母体として、「長谷熊太郎商店」より分家し、文久元年(1861年)備前池田藩より「 潰金銀及び古物取扱の鑑札」を受けた時を創業とされています。 ただ、伝聞等によりますと、備前池田藩と鳥取池田藩の藩地替えが行われた時、鳥取より岡山に移って来、その当時より商人として、生業をたてていたとのことです。 |
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大正元年より鉄工の発展に伴い,各製鋼メーカーの内地鉄くず需要拡大により,株式会社神戸製鋼精工所指定納入問屋として,中四国地方にて当社のみ納入権を受ける。戦後鉄鋼メーカーの復興に伴い需要ますます増大し.昭和26,27,28年は当社納入実績7,000トンにおよび、40年代に至り国内鉄くずの流通変革により,鉄くず加工処理の機械化(近代化)の必要に伴い金属スクラップ処理機械を複数台設置、また昭和55年4月廃自動車処理機械シュレッダーの設置を完成いたし現在に至る。 |
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文久元年 |
初代福本屋傳吉の創立、池田藩より「潰金銀及び古物取扱問屋」の免許を受けて営業す。 |
昭和13年 |
佐藤傳吉商店を会社組織に変更し、株式会社佐藤傳吉商店を設立す。 |
昭和13年11月 |
鉄くず配給統制規則が実施され、同時に商工省より鉄屑取扱指定商として指定される。以後、政府の支持により統制会社設立せられ中国5件、及び四国4全般を統括する中国金属統制会社の重役に就任と同時に、岡山県金属統制回収会社に当社代表、隊長に就任す。 |
昭和33年 |
故・佐藤恒太、代表取締役社長に就任す。 |
昭和40年12月 |
日本鋼管兜沁R製鉄所関連下請け会社とし当社と丸紅鰍ニの共同出資により日鋼産業鰍設立し、故・佐藤恒太が代表取締役社長に就任す。 |
昭和43年1月 |
鋼材営業部を新設、一般鋼材販売を開始す。 |
昭和44年7月 |
鉄工鋼材センターを新設、鋼材加工及び販売業務を拡大。 |
昭和48年10月 |
鉄工センター内に鉄屑加工工場が完成。 それにより、廃自動車処理機械を設置す。 |
昭和48年11月 |
大供本社手狭により現在地に本社を移転す。 |
昭和55年4月 |
本社工場内にシュレッダー設備を設置す。 |
昭和57年9月 |
岡山市西部方面の顧客獲得のため岡山市妹尾四条にスクラップ集積場として西営業所を開設す。 |
昭和60年9月 |
故・佐藤恒太、代表取締役会長に就任す。 |
昭和60年9月 |
佐藤章夫、代表取締役社長に就任す。 |
昭和62年8月 |
資本金を弐千萬円増やし合計参千萬円とす。 |
平成20年5月 |
1000t圧ギロチンシィア、南星製クレーン設置。 |
令和2年6月 |
佐藤治男、代表取締役社長に就任。 |
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